ディズニーランドができるまで
パークのアトラクションやショップなどについてのバックグラウンドストーリーに関しては、私を含め多くの人が勉強している方が多いと思います。しかし、ディズニーランドができるまでの歴史を知らない人は意外と多いと思います。そこで、この記事では、パークができるまでの歴史を中心にまとめていきたいと思います。
まずこの系統の記事に関しては多くの文献をもとにまとめていますが、その一つとして、「ディズニーランドの秘密(新潮新書)」と言う本を紹介しておきます。以下から確認できます。
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ウォルトが作りたかったものとは?
多くの人がディズニーランドといって想像するものは何でしょうか?
これはプーさんのハニーハントのQラインですが、このような感じで、ディズニーのアニメーションのテーマパークと考える方が多いと思います。これ自体は全く間違っていませんが、必ずしもそうとは思いません。大人気アトラクションの「ビッグサンダー・マウンテン」や「スペース・マウンテン」などはディズニー映画とは関係ありません。
このように考えると、ウォルトが第1に考えていた「パーク」と言うのはどのようなものでしょうか?結論から言いますとウォルトは「交通博物館」のようなものを作りたかったと言われています。
ウォルトのオープニングスピーチ
To all who come to this happy place; welcome. Disneyland is your land. Here age relives fond memories of the past…and here youth may savor the challenge and promise of the future. Disneyland is dedicated to the ideals, the dreams and the hard facts that have created America…with the hope that it will be a source of joy and inspiration to all the world.
(出典:https://www.disneydreamer.com/walt-disney-opening-day-speech-disneyland/)
これは、ウォルト・ディズニーのオープニングスピーチの抜粋です。ここ(ディズニーランド)は、年配の人たちは過去の楽しい日々を思い出し、若者は未来の挑戦に思いをたくせるところです。と言うふうに述べています。
この年配の人たちが過去の楽しい日々と言うのは、鉄道と駅に続くメインストリートや蒸気船とその船着場といった風景でした。それらは現在のパークでも見ることができますよね。さらに、ウォルトがここに込める想いがよく感じられるのが「ミッキーマウス・パーク」です。
ミッキーマウス・パーク
「ミッキーマウス・パーク」とは何か?と思う方が多いと思います。これは実現されたものではありません。ウォルトは「ディズニーランド」の前に「ミッキーマウス・パーク」を建設しようと考えていました。
ミッキーマウス・パークはバーバンクのウォルト・ディズニースタジオの通りを挟んだ向かいの11エーカー(東京ドーム約1個分)の土地に建設しようと考えていました。具体的にどのようなパークになろうとしていたかを簡単にまとめていきます。
・パークを周回する汽車とその駅
・役場や警察、消防署、ドラッグストアなどがある小さな街
・ポニーや駅馬車に乗れるウエスタンビレッジ
などです。これは一部ですが、これを見てもわかるように、汽車や駅馬車のように、懐かしい風景、さらに、それを彷彿させる「交通」がメインモチーフになっているわけです。
このように考えると、今のパークで見られるアトラクションも違う視点から見られるものもあるのではないでしょうか?東京を例に取ると「ウエスタンリバー鉄道」「ジャングルクルーズ」「トムソーヤ島のいかだ」「蒸気船マークトゥエイン号」「エレクトリックレールウェイ」・・・と言うふうに「交通博物館」の名残は多く見られますよね?
さらに、これらにはディズニーアニメとの関係は少ないものが多いのではないでしょうか?このように考えると、なぜ、パークにこのようなアトラクションがあるのかと言うのも「交通博物館」を作りたかったと言うウォルトの思いにつながってくるのではないでしょうか?
第1回の記事では、「交通博物館」と言う視点からウォルトが作りたかったパークについてまとめてきました。その中で「ミッキーマウス・パーク」も取り上げて説明してきました。第2回以降では「ミッキーマウス・パーク」からどのように「ディズニーランド」になったのかと言うことや、ウォルトのパークに込める他の思いをまとめていきます。